私が愛読する作家の中に、日本推理小説界の巨匠である江戸川乱歩がいます。
私が読んできた遍歴を通じて、その魅力について語ってみたいと思います。
小中学生の思い出
江戸川乱歩の作品を読むようになったのは、小学校の図書館にポプラ社の少年探偵団シリーズが置いてあったことがきっかけでした。
恐らく昨今の少年少女たちは、同じような体験をしている人が多数いるものと思われます。
その中で最初に読んだのは「電人M」という作品でした。
今ではほとんどストーリーを忘れているため詳しくは解説できず、街中をロボットが徘徊するのを少年たちが怪しんでいる様子ぐらいしか覚えていません。
そこにはある種の気味悪さと好奇心、これからどう展開するのかといった期待などがいりまじり、多くの少年少女たちをワクワクさせてきたことが、多くのファンをもつ理由となっていることでしょう。
その後、中学生以降には少年探偵ではなく、大人向けの作品を読むようになりました。
当時は角川文庫で江戸川乱歩の作品集全20巻が発売されていたので、当時なけなしの小遣いをはたいて1冊ずつ集めていったものと思います。
その文庫は、表紙には宮田雅之の切り絵がおどろおどろしく飾られ、乱歩作品の怪しさ、猟奇さを絵で表現された、それこそ芸術的価値のあるものだと感じました。
大人の作品だけあって、少年探偵団のような「ですます調」ではないことから、自分も大人の仲間入りになったと一人悦に入っていたことを思い出します。
本格派推理小説として
推理小説と言ってもそのテリトリーは幅広く、いわゆる本格的な推理ものから猟奇的なもの、冒険活劇のようなものから純文学と見紛うものまで、いろいろな作品があると思います。
私はやはり本格的な推理ものに憧れていたため、江戸川乱歩の作品では、「D坂の殺人事件」「心理試験」「何者」「陰獣」「化人幻戯」が印象に残っています。
もちろん、少年探偵団シリーズもその範疇に入るかもしれませんが、どちらかというと推理ものというより冒険ものといった方がふさわしいでしょう。
江戸川乱歩が活躍していた当時では、一般大衆は本格的推理ものよりも幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものといえる作品を好んだそうで(ウィキペディアより)、乱歩作品にもそのような作品が多いのは時代の要請だったのかもしれません。
もう少し時代が変われば、もっと乱歩の本格的推理ものが多く書かれていたかもしれませんが、これは日本の大正期から昭和初期までのエログロナンセンスな風潮が、乱歩を通俗小説家たらしめた張本人であるといえるのではないでしょうか。
江戸川乱歩の美女シリーズ
江戸川乱歩で忘れてはならないのは、名探偵明智小五郎の存在でしょう。
少年探偵団シリーズや大人向けの乱歩作品ではヒーローですし、日本探偵小説界における最大のヒーローだといえると思います。
今の私にとって、明智小五郎と言えば小説の中の登場人物ではなく、かつてテレビシリーズとして放送されていた、「江戸川乱歩の美女シリーズ」に出で来る天地茂を思い起こさせます。
なんとなくニヒルで、それなりにスーツが決まっており、たばこをくゆらせながら眉間にしわを立て、時にはアクションもこなすなど、今では明智小五郎そのものといえる天地小五郎像ですね。
でも、少年探偵団シリーズを読んでそれなりの明智像があったので、見始めたころは違和感がありました。
やはりというか、思春期から大人になる時期だったので、出演するポルノ女優のシャワーシーンは衝撃的で、むしろそれを期待して番組を楽しんでいた面もあったかもしれません。
もっとも、当時は親の顔を伺っていたので、それこそお忍びで見ていた感はありました。
話が横道に逸れてしまいましたが、江戸川乱歩に関して私が話せることの、ほんの一端を語らせていただきました。
また何かのきっかけがあれば、この続きを別の観点から語ってみたいと思います。