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雑感

税理士として歩むまで・その1

 私は大学を卒業してから、26年間国税の職場で税務行政に従事する中で税理士資格を取得し、この5月に税理士登録されたのを機に独立開業しました。

 ここでは国税専門官から税理士になるまでを、何回かに分けて振り返ってみたいと思います。

国税専門官として就職

 私は国税専門官採用試験を経て東京国税局に採用され、以来税務署6署18年、国税局調査部に3年、国税庁に5年の計26年間税務行政に従事してきましたが、50歳を迎えることから独立を意識するようになりました。

 というのも、48歳の時に目標であった税理士の資格を取得したからです。

 大学時代には公認会計士に対して漠然とした憧れを持っていたのですが、在学中に会計士の試験勉強をするほどの情熱はなく、それよりも仕事を通して資格が取得できることの方が自分の性格に合っていると思っていました。

 そこで、会計士と職種が似ていて、一定期間勤務することで試験免除できる税理士の資格を取ることを思い立ったのです。

 国税専門官という公務員なら、景気の荒波にも左右されないので、税理士資格が取れる23年以上勤務することも十分可能だという見立てもありました。

 いずれにしても、国税専門官として経験・実績を積みながら、第二の人生は税理士で、という路線を思い描いて国税当局に就職することになったのです。

最初の配属は徴収部門

 東京国税局に就職して、最初に配属されたのは徴収部門でした。

 自分は税理士として活躍するために調査部門を希望していたのですが、意外な配属先に正直がっかりしました。

 しかしながら、先はまだ長いことから、とにかく何でもかんでも経験が必要だ、と思い直して徴収事務で務める覚悟を決めました。

 徴収部門と言えば、税金の滞納に対し財産に赤紙を貼る、すなわち財産の差し押さえを行うことが大きな仕事の一つとなっています。

 当時はまだ電話加入権が1本7万円ほどの価値があったので、電話局に赴き滞納者の加入権を差し押さえることはよく行っていました。

 7万円では換価しても大した滞納整理にはなりませんが、税務署から差し押さえられたこと自体が大きなインパクトを持つため、次なる差し押さえを伺いつつ滞納者とやりあって何とか完納まで導いていく、という手法で進めるのです。

 また、不動産の差し押さえも何回か行いました。

 不動産の差し押さえは、特に法人の場合は確定申告書に記載されている不動産を対象に考えるのですが、記載していない法人も多いことから、都税事務所などに固定資産税として課税されているかどうかの照会文書を出して把握することもよくありました。

 その照会文書で該当があれば、記載された地番表示をもとに法務局の登記簿を確認し、その法人の所有と分かれば占めたものです。

 差し押さえ物件は滞納者が納税に応じなければ公売により換価しますが、不動産の場合は落札価格も大きいため、滞納処分の効果も比較的大きくなります。

 そのほか、金融機関に赴き普通預金や定期預金などの差し押さえもよく行っていましたが、動産の差し押さえは滞納者の目の前で抵抗が予想されるため、ほとんど行っていませんでした。

法人調査部門への異動

 このように、徴収部門は税務署2署にわたり6年間努めました。

 しかしながら、あまり徴収部門に長く居座ると「徴収官」という実績のため、税理士として「調査官」という実績でないと独立した際の強みがあまり発揮されないのではないか、という不安もあったことから、毎年上司に提出する身上申告書には調査部門、特に花形である「法人調査」と書き続けていました。

 その甲斐あってか、6年後に念願の法人部門に異動することになったのです。

 異動内示で「○○税務署法人課税部門」ということを上司から聞かされた時は、思わず心の中で小さなガッツポーズをしたほどでした。

 徴収部門に携わったことは、やはり就職して最初の職務でもあったことからそれなりの思い入れがあり、始めから調査部門に行くよりも様々な仕事を経験するという意味では、却って良かったと思っております。

 そして、意気揚々と異動先の署に赴きましたが、そこで着任したのは内部担当でした。

 この続きについては、また別の機会に話したいと思います。

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